2008年01月17日
浮世絵
って本当センスありますよね!
浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した、人々の日常の生活や風物などを描いた絵。「浮世」という言葉は、もともと「現代風」を意味する言葉。
現在一般に浮世絵といえば、専ら多色刷りの木版画(錦絵)を想像する場合が多いが、肉筆画なども含まれる。
もともと、浮世絵は浮世を書いた絵、風俗画として登場した。
浮世絵師には狩野派、土佐派出身の絵師が数多く見られる。これは当時、狩野派から破門された絵師が数多く転向したためであり、そのため室町時代から桃山時代の風俗画の影響が見受けられる。
[編集] 初期
明暦の大火ごろから宝暦の頃までをさす。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。
17世紀半ば以降、木版画の原図を描く者を版下絵師といい、その中で絵本や浮世草子に挿絵を描いた菱川師宣が登場する。また、代表作として有名な『見返り美人図』は肉筆画である。
西鶴の『好色一代男』(1682年刊)には、12本骨の扇子に浮世絵が描かれていたとあり、これが浮世絵という言葉の確認出来る最古の文献である。
鳥居清信の時代になると墨摺絵に筆で着色したものが現れる。これらは主に赤い顔料を使い着色され、丹を使ったものを丹絵、紅を使ったものを紅絵と呼んだ。さらに紅絵に色を二、三色加えたものを紅摺絵と呼ぶ。余談だが、この当時から鳥居派は歌舞伎と強く結びつき、現代でも歌舞伎の看板を手がけている。
錦絵が誕生した明和2年から文化3年頃をさす。
1765年(明和2年)に江戸の俳人を中心に絵暦が流行し、絵暦交換会が開かれるようになった。その需要に伴い鈴木春信らが多色刷りによる東錦絵を発明したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えた。多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられる。越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙などの楮を原料とした紙が用いられた。また、経済の発展により下絵師、彫師、刷師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点も重要である。
(?)鈴木春信の死後、人形的な絵柄から写実的なものへと変化していった。
安永期、北尾重政は写実的な美人画で人気を博した。役者絵にも写実さが加わり勝川春章によってブロマイド的な似顔絵が描かれた。
さらに喜多川歌麿が登場し、繊細で上品で優雅なタッチで、美人画の大首絵を数多く手がけた。
寛政2年、改印制度ができ、出版物に様々な規制がされた。
寛政7年、禁令のため財産を没収された版元蔦屋重三郎が起死回生を狙い、東洲斎写楽が売り出される。独特の誇張された役者絵によって話題を呼ぶが、特徴を誇張しすぎ、人気が振るわなかったことと、歌川豊国『役者舞台姿絵』の絶大な人気に敗退した。
その後、豊国の弟子たちからなる浮世絵絵師最大派閥である歌川派が形成されていった。
(以上、ウィキペディアより引用)
今描ける人っていないんですかね?
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